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Short short with English summary

盂蘭盆
今年も9月は短い月です。一年の四分の三を費やしたか、今年もあと僅かとなったか。こんな焦りは意味のないこととは知りながら、心の奥深くで感じているからでしょうか。 それとも、お盆休み、敬老の日、お彼岸と、なんとなく、抹香くさい休日が、短い間隔で並んでいるせいかも知れません。もっとも、現実は、海へ山へ、体育祭、学園祭と、休日の名前など考えてもみない世代の人口の方が多数派だろうとは思います。
海外旅行とか、高速道路の渋滞が話題になる連休としては、お盆休みとともに、年末年始、それに、「ゴールデンウイーク」があります。これら、日本の三大連休の中で、お盆休みだけは、カレンダーに印刷されていません。日本中で、8月15日を中心に数日間は、お店は休み、事務所・諸官庁は、半分機能停止となることに、暗黙のうちに合意しています。これを、8月15日は、「敗戦記念日」だから、あるいは、個人・家庭・小企業・大企業と、全休・半休が自由・気ままにされて、日本政府が得意とする規制・指導ができないから、カレンダーに国家祭日として印刷できないのではないか、と考えるのは間違っているようです。真夏のヨーロッパは、外国人・観光客相手の施設を除いて、全休・半休が当たり前、しかし、カレンダーには、一言も記されていません。
「敬老の日」は、言語道断として、お盆と、お彼岸は、直接、仏教に結びつけられます。明治新政府は、仏教を目の敵にして、「廃仏毀釈」などと、お寺を荒れるがままにし、幾多の国宝を海外に流出させ、敗戦まで、国家祭日は、「紀元節」「春季・秋季皇霊祭」「新嘗祭」と神道に基づく天皇家の行事名だったことは、今日では、綺麗に忘れ去られました。 そして、それでも、それらの日付はそのまま残っているというのは、どんな議論がされ、誰が決めて、法令化されたのか、不思議なことです。「文化の日」が、「明治節」(明治天皇誕生日)だなどと思い巡らせる人は、いないでしょう。
休日の正式名称ではありませんが、「お盆」「お彼岸」も、考えてみると、面白い呼び名です。「お盆・盂蘭盆」は、サンスクリットの音訳漢字書きそのまま、つまり、一般人には意味不明。「お彼岸」は、サンスクリットを上手に漢字に意訳・音訳したものと云う事のようです。仏教も神道も、あるいは漢文の形で、あるいは全く意味を持たない音訳・当て字として、しかし、なんとなく重要な、勿体ぶった漢字で表現され、我々は、それを、有り難がっているというわけ。「巣鴨のお地蔵様」は、「地蔵・菩薩」で、「地蔵」は、意訳、「菩薩」は、意味なし音訳。お葬式で、和尚さんのお経を良く聴くと、梵語の漢字当て字読み、漢文読み下し、日本語と、全てのバーションが混合しています。
ことによると、活きた休日は、過ごされ方に意味があり、活きた宗教心は、言葉とは関係ない。日本は良い国の証明。
Ullambana
I feel September is short. I have already spent three quarters of this year. Only three months are left. This feeling is perhaps evoked by the fact that in Japan, from August to September, we have a series of holidays which are pious and Buddhistic, not only originated from Buddhism but deeply rooted in Japanese way of life. Around the 15th of August, the famous Shinkansen, super express trains, and the domestic air lines are fully packed by the families visiting their home towns, their family graves. The younger generation might not anymore associate those holidays with their ancestors or family grave. For them those days are the holidays for going to the seaside or mountains or to enjoy playing sports.
Until the end of the 2nd world war, August 1945, many national holidays had been Shintoism, the days when the Emperor’s ritual ceremonies would be held. Today, none of our national holidays are named after Shintoism, but the dates are exactly same as old days. Nobody questions about the names, the meanings and the dates of the national holidays. At funeral ceremonies, most of them are held according to Buddhist rites, a Buddhist priest prays quite long. If you carefully listen to his prayer , you would find the prayers are mixed with Sanskrit, old classic Chinese, both of them nobody understands, and Japanese.
Perhaps, how to spend the holidays are important, and the language and words have very little to do with the living religious mind. Japanese are good people therefore Japan might be a good nation.

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